1953年1月15日 国産1号テレビ 早川電気 TV3‐14T

http://www.sharp.co.jp/products/lcd/tech/dentaku/images-dentaku/img-story01.jpgシャープ社史より

昭和初期に、研究開始

 現在は放送衛星が宇宙を飛び、オリンピックの興奮をハイビジョンの超鮮明画像で臨場感たっぷりに楽しめる時代です。このテレビ時代の幕を開けたのが、1953年(昭和28年)の“当社による初のテレビの量産化”でした。
 当社のテレビへの取り組みは古く、ラジオが普及し始めたばかりの1931年(昭和6年)、早くも研究に着手しました。

他社に先がけて量産
 戦時中に手がけた航空用無線機の超短波技術も大いに役立ち、1951年(昭和26年)、 テレビの国産第1号の試作に成功しました。
 翌1952年(昭和27年)、わが国で初めて米国RCA社と基本特許契約を締結すると、 ただちに量産試作に入り、12、14、17型の3機種を完成させ、発売に踏み切りました。

さっそうとデビューした第1号
 1953年(昭和28年)1月15日、わが国初のシャープテレビ 〈TV3‐14T〉がさっそうとデビューしました。価格は175,000円。 当時の公務員の初任給は高卒で5,400円でした。
 そして2月、NHKが1日4時間のテレビ放送を開始しました。 なお、最初の視聴者は全国で866人、受信料は月200円でした。

サービス体制を整備
 当時、テレビの生産は難事中の難事として、多くのメーカーは二の足を踏んでいました。その理由の一つがアフターサービスの難しさです。しかし当社は、量産を進める一方で、技術者を中心に約30週間、日曜日返上でテレビ講習会を開きました。続いて、販売店への技術講習会も実施しました。こうして、ラジオよりはるかに高度なテレビ技術を短期間にマスターし、万全のサービス体制を整えたのでした。

店頭は黒山の人だかり
 テレビはまず、喫茶店や旅館、会社などに入っていきました。 販売店やデパートの店頭は“映像も見えるラジオ”をひと目見ようと、 放送時間には黒山の人だかりでした。ちなみに、当社の1月の生産台数は15台。 年末には月産500台まで伸びました。

14型こそ一家に1台の決め手
 テレビはまだ、価格面からも家庭に普及する段階ではなく、 大勢の人が集まる場所で使用されたため、主流は17型とみられていました。 しかし当社は、あくまでも家庭への普及をめざし、 日本の家屋にピッタリで価格も手頃な14型こそ主力と考え、量産を進めました。 これが長く業界の主流になりました。

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