2008.11.12生活機器設計論・演習

課題「30kgの水を1km運ぶための道具」
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デザインにおけるモチーフという怪しげなもの


モチーフ motifは辞書(大辞林)では
(1)小説・音楽・絵画などで創作の動機となった中心的な題材。
(2)音楽で,ある表現性をもつ旋律の断片,または音型。楽曲を構成する最小単位。動機。
(3)模様の構成単位。
基本的には芸術が対象で、内的心象を表現するためのものあるいは内的心象を表現する動機となるもので、デザイン造形全体を言い表すものではない。

モチーフという表現で、言い表した時点で、「このデザインには客観性がなく、主観を多く示すもの」となる。主観を示すこと自体は問題が無いが、そのためには心的昇華や哲学的論理過程が必要ではなかろうか。

ましてや、デザインした結果とモチーフにおいて、モノとしての関係がない場合、「このデザインは○○がモチーフです」などということはもってのほかだろう。関係ないことを、あさはかなロジックで説明することは、自らのデザインを自ら卑下していることになる。デザインの現場やデザインの企画書、プレゼンテーション、論文でそれらを説明するためにモチーフで説明することはない。

引用や模倣工学として、生物や有機形態を分析し、解釈し、デザインにおける形態や造形のために、その要素を利用することはある。ただその場合「お○○をモチーフにしました」などということはない。モチーフにしたこと自体にはデザインの結果との関係がなにもなく、デザインを説明する上でなにも意味が無いから。このような説明を聞いたときは、カタチを創作していない人がそのような説明を使っていると理解すればいい。

さらに二重におかしなことは人工物の形態そのものをモチーフにするということである。機能工学的に決定されたたとえば「自動車をモチーフにしてこの形態を考えました」ということは、ほかの人工物の形態を盗んだだけで、モチーフでもなんでもない。要素を直感的に発見した場合、そのカタチがどのように決定されたか、というバックグラウンドやエンジニアリングや歴史性を検討した上で、その結果を自分の創造をもって、デザインに落とし込まなければ、ただのお絵描きになってしまう。
ともかく、いまどき「○○をモチーフにデザインしました」などというデザイナーはいない。いてもそのひとは、評価において、悲しい思いをするだけである。