2008.09.19 キャンパスノート

以下ははあくまでコンセプト論の説明の事例で商品やメーカーさんを非難しているものではありません。

東大合格者のノートを研究?して、開発したというノート。
いささか不思議なコンテクストであり、学生が間違えてつくってしまったデザインコンセプトにシークエンスが似ているので私なりの解説をしておく。

まず、東大合格者はきれいなノートをとっているからといって(これが仮に客観的事実であったとして)、きれいなノートから東大合格を線形に結ぶことはできない。論理のシークエンスは基本的に不可逆であるはずなので、このような説明は正しくない。集合論で考えてみてもすぐに分かる話。しかし、行動経済学で指摘されているように、「代表性バイアス」や「連言錯誤」の例といえる。

次にコンセプト論から考えると、
美しく書くということを工学化した場合罫線とドットの組合わせが最適であるという客観化がされている訳ではないとおもうので、
(図形や表と文章をそろえて書くことときれいに見えるという説明であろうが)ノート罫線の新たなグラフィックパタンの説明を「後知恵」するために東大云々をつかったのであろう。
つまり実際に考えたことを、後づけ的に誤った集合論で説明しようとした結果、先に述べたようにわかりにくい可逆と不可逆を間違えた商品説明をしてしまっているのであろう。無理矢理つくったコンセプトやマーケットに消費者が惑わされる時代ではなくなってきているので、込み入った間違った説明をするより、考えたことを素直に順番に説明することが消費者に対して真摯な商品開発でなかろうか。
この商品コピーロジックだと、東大生は普通のノートにきれいに書いています。それができない人はこのノートを使ってくださいね。東大生はこのノート使わなくてもきれいに書いているけど、きれいにかけないつまりこれを使っている人は、東大に合格できない人です。こんな説明をしていることになりますよ。あやまった欲望喚起やお為ごかしの説明やマーケティングににもう消費者は辟易していますし、操られていることを実感しています。
調査実験の結果、グリッドよりも罫線とドットのほうが、日本語は書きやすいし表や図との関連して書きやすかったです。ですので道具としてこんなノートを考えました。使い道によっては使いやすい部分もある道具と思います。という素直な説明がデザインコンセプトとしていいのではないでしょうか。とてもいいアイデアなのだから

以上はあくまでコンセプト論の説明の事例で商品やメーカーさんを非難しているものではありません。