ブリダンとショーペンハウエルと行動経済学

ブリダンの驢馬 全く同じ条件の草(えさ)を2つ与えられた驢馬は、いずれかを選択する根拠が無いという根拠のもと餓死してしまうというブリダンが語ったとされる話。全く2つのものがおなじという状況は実際にはありえないが、合理性を極めて育とこのような結果になるという哲学論の話。
これの話をうけ、ショーペンハウエルはどちらも同じならどちらを選んでもいいのだから、手当たり次第食べればいいとう哲学。
ブリダンは選択には、何らかの理由が必要であるという合理的考え方。
ショーペンハウエルは選択に理由が必要であるとは限らないという考え方。
これはまさしく既存経済学と行動経済学の話と同じ。
経済行為にもまたデザインにも何かしらの理由をつくりたがる。決して、理由に基づいた行為や行動をしているとは限らないのに。
自らが合理的な存在と教育をうけてしまったため、根拠の無いものにも合理的風な根拠をほしがる。そのためにコンセプトやマーケティングがおかしなものを提供し続けている。実際のデザインを知らないマーケティングの解釈論は全く役に立たない。必要なのは、実際の結果を実際の制作の過程における論理。後知恵はあやまり、後付けは論理。