1955年12月10日 国産1号 自動式電気釜 東芝 ER-4

http://kagakukan.toshiba.co.jp/history/1goki/1955cooker/images/product.jpg東芝科学館より

日本人の主食であるご飯を釜で炊くということは掃除、洗濯とともに、主婦の家事労働の一つであり、経験に基づいたノウハウによりご飯のでき栄えが左右されるものだった。タイムスイッチを使って、希望の時間にご飯が炊ける電気釜の出現は、炊飯を単に自動の電気釜に変えただけでなく、主婦の家事労働にかかる時間を大幅に軽減し、生活様式にも大きな変化をもたらした。
この自動式電気釜の「発明者」は東芝の協力会社(株)光伸社の三並義忠社長である。1952年(昭和27)東芝家電部門の松本部長から自動式電気釜の相談を受け、開発に着手。1955年(昭和30)完成して特許(昭30-12357)を取得したが、その3年間の研究開発は困難を極めたものであった。
X線で結晶構造を示す生澱粉をβ澱粉と呼び、加熱により結晶構造を分解した「のり状(糊化)澱粉」をα澱粉と呼ぶ。澱粉は消化しにくいβ澱粉を、消化吸収のよいα化することがポイントだ。98℃位の温度を20分間ほど続けると、釜全体の米がα澱粉化し美味しく炊ける。強火で一定の時間吹き上げるのがうまいご飯の炊き方だということが判明した。
そのため、釜が沸騰した後、タイマーで20数分後にスイッチを切れば、理屈上は美味しいご飯が炊けるはずである。しかし試作では、芯のあるご飯やお焦げもあり、釜の外気温、釜の発熱量、米や水の量により沸騰までの時間が異なるためだとわかった。そこで、釜が沸騰し始めたことを検知し、その20分後に正確にスイッチを切るにはどうすれば良いか、試行錯誤の末、編み出されたのが「三重釜間接炊き」という方法である。
外釜にコップ一杯(約20分で蒸発する量)の水を入れ、それが蒸発した時、釜の温度は100℃以上になり、それをバイメタル式のサーモスタットが検知しスイッチを切ることを着想。つまり、水の蒸発をタイマー代わりに応用したもので、日本人らしいシンプルで合理的なアイデアである。ただし、この実用試験は困難を極め、(株)光伸社の社長夫婦が、自らの製氷会社の倉庫や、寒中には自宅の庭で実験を行い、苦労に苦労を重ねやっと完成にこぎつけたものである。
東芝は家電部門の山田正吾をリーダーに販売に取り組み、1955年(昭和30)12月10日、完成した700個の販売を始めたが、家電販売店は半信半疑でなかなか乗ってこなかった。そこで既存ルート以外の電力会社の販売網などを開拓して、山田正吾自ら全国の農村で実演販売をしてからは、爆発的に売れるようになった。その後、最高月産20万個を販売し、4年後には日本の全家庭の約半数にまで普及し、総生産台数も1,235万台を記録している。

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